amamiyatokororin

路上生活をする男性のコロナ陽性から発覚したのは、保健所、東京都の発熱センター、医療機関の連携がまったくとれていないこと。そして、自宅がない人がコロナ陽性になった場合のことが何ひとつ想定されていない現実だった。
ただでさえ疲弊しているイラクに、また劣化ウラン弾が落とされてしまったら━━。何かできないかという思いで、私たちは開戦1カ月前のバグダッドに乗り込み、連日「戦争反対」デモに参加した。
コロナ禍が始まって一年半。この間、「路上やネットカフェにいる人が感染した場合」なんて、いくらだって想定できたし、その準備は当然なされるべきだった。しかし、国は本気で本当に、何も準備していないようなのだ。
DaiGo氏の発言の問題は、なぜそのような発言をしても許されると思っていたかだ。その問いとともに頭に浮かぶのはやはり、自民党が野党だった2012年春の生活保護バッシングである。
ロスジェネの一人であり、派遣会社員という容疑者が抱えていただろう剥奪感を、私は想像することしかできない。また、どれほどその剥奪感が大きくとも、事件を起こす理由には当然ならないし彼のしたことは絶対に許されない。
現場に足を運び、時に自治体の姿勢を問い、「公助」のあり方を変えてきた「つくろい東京ファンド」の稲葉氏。支援を受けた人たちは、稲葉氏らと出会っていなかったら、最悪、命を落としていたのかもしれないのだ。
なぜ、あのような事件が起きたのか。ここに来て新たな事実が浮上している。ノンフィクションライターの渡辺一史氏の取材によって、裁判でも触れられなかったことが明らかになっているのだ。
「ヤバい、これ、ちょっと癖になりそう…」。そんな言葉が私の頭をよぎった。「模擬生活保護申請」の研修で、私が「役所の意地悪な職員」役となり、生活保護申請したい人を妨害するというロールプレイをしていた時のことである。
数えきれないほどデモをし、政策提言をし、国会議員や省庁に訴えてきた十数年。「変わらなさ」に心が折れそうになることもあった。だけど折れずに続けていられるのは、この活動は「人を支援する」ことがメインだからだ。
昔と比べ、「普通の生活がしたい」という言葉を耳にするようになった。それも、住まいがほしい、食事をとりたい、布団で寝たいと願うような、本当に最低限の「普通」である。それほどに、日本社会は壊れたのだと思う。