放射性物質を取り除く除染に伴い発生した、除去土壌等を福島県外で最終処分することが法律で定められている。その期限は、今から20年後の2045年3月だが、最終処分地は未定となっている。
東京ドーム約11杯分に相当する1400万㎥の膨大な除去土壌は、現在、大熊町と双葉町に跨り設置された中間貯蔵施設に一時的に保管されている。この二町は、東京電力福島第一原子力発電所事故の被害がとくに甚大であった地域でもある。
「昨年、初めて中間貯蔵施設に行きました。厳重に立ち入りが制限された場所に、小さい花がぽつぽつと咲いていて、すごく穏やかな空気が流れていました。『ただ、捨てられたものではない』という意思を花から感じた気がして――」
福島県いわき市出身の俳優・富田望生(とみた・みう)さんは、中間貯蔵施設で感じた未来への芽吹きを花に例えて語った。
東日本大震災から14年。福島の復興・再生に向け、次世代を担う若者たちと福島の未来についてともに考える「福島、その先の環境へ。」シンポジウムを取材した。

「除去土壌の再生利用」は本当に危険か?リテラシーの底上げが重要
3月9日、東京駅からおよそ3時間。福島県浜通り南部に位置するナショナルトレーニングセンターJヴィレッジで、「福島、その先の環境へ。」シンポジウムが開催された。
午後2時半。環境省による挨拶で開会。
最初のプログラムは、福島環境再生事業の2024年度活動報告だ。全国での除去土壌の再生利用や、県外最終処分に向けた理解醸成の取り組みなどについてプレゼンテーションがおこなわれた。
「中間貯蔵施設は、面積で言うと、およそ1600ヘクタール。渋谷区と同程度の広大な敷地に、震災前は多くの方々が暮らしていた」
環境省参事官・中野哲哉(なかの・てつや)さんは、中間貯蔵施設の建設について、次のように語る。
「原発事故が起こった2011年3月11日。住民は突然、避難を余儀なくされた。
そうして避難されている方々が、いつ帰還できるかわからない過酷な状況下で、『自分たちの土地を手放す』という決断をされた。
なかには江戸時代から続く先祖伝来の土地や家屋もあった。しかし、1日も早い復興を願い、こうした大切な資産を手放す重い決断をされたわけです」

1400万㎥にのぼる除去土壌を保管・管理するために、被災者の理解と協力のもと、大熊町と双葉町に中間貯蔵施設が建設された。
そして、今年3月13日。除去土壌等の中間貯蔵施設への運び入れ開始から10年を迎えた。20年後には福島県外で除去土壌等を最終処分することが法律で定められている。
この膨大な土壌をどのように処分するのか?
「除去土壌のうち、放射能濃度が低いものが全体の4分の3を占める。また、それらは一定の管理をすることで、土として再生利用ができると考えている」(中野さん)
除去土壌の再生利用については、SNS上で不安視する声も散見される。
「実証実験をおこない、安全性は確認されている」(中野さん)
私たちは普段の生活のなかで、平均して年間2ミリシーベルトの放射線を被ばくしている。そして、がんのリスクが上昇する科学的証拠が存在する放射線の量は、100~200ミリシーベルト以上の被ばくをする放射線量であるとされている(※)。
一方、除去土壌の再生利用工事の作業者や周辺住民等の追加被ばく線量は、年間1ミリシーベルト以下になるよう、再生利用する除去土壌の放射能濃度を制限するという。
日常生活における被ばく線量と追加被ばく線量を合わせても、健康影響のリスクがあるとされる100ミリシーベルトと比べて十分小さいことがわかる。
今後、除去土壌の県外最終処分について認知を広げるともに、安全性に対する理解も醸成していく必要がある。冷静な議論をおこなうには、放射線に関する科学リテラシーの底上げが不可欠だ。
専門的な内容を「わかりやすく翻訳」。サイエンスコミュニケーションの強化が課題
昨年10月に実施された「福島、その先の環境へ。」ツアー2024。
「地域・まちづくり」「新産業・新技術」「福島の食」をテーマに福島県内でのオリジナルツアーを企画、実際にツアーに参加した若手社会人による活動報告がおこなわれた。
「国民が科学的議論に参加できる環境づくりが課題。『サイエンスコミュニケーションの強化』が必要ではないでしょうか」

学生時代に原子力について研究していたという熊倉泰成(くまくら・たいせい)さんは、除去土壌の再生利用や最終処分における安全性について、専門知識が求められるテーマであると強調。
そのうえで、専門的かつ技術的な内容を「わかりやすく翻訳」して伝えることで、除去土壌について国民からの関心が得られ、冷静な議論に漕ぎ着けられるのではないか、と語った。
環境省のツアーの事前・事後で実施したアンケートによると、除去土壌の最終処分が安全だと思うかと尋ねる設問に対して、約半数が「どちらとも言えない」との回答だった。しかし、福島環境再生事業の現地見学会に参加したあとは、全体のおよそ8割が「安全だと思う」と答えている。

さらに、居住地域での除去土壌の最終処分の実施についても、見学会前は否定的な意見が多かったものの、実施後は前向きな答えが全体の約9割を占めた。

これらの調査結果から、除去土壌や放射線そのものについて正しい知識を身につけることは、前向きな議論につながることが示唆されている。
始めは「好き」から。福島の未来をつくる。
シンポジウムの後半では、俳優の富田望生さん、フリーアナウンサーの政井マヤ(まさい・まや)さん、環境省 環境大臣政務官の勝目康(かつめ・やすし)さんらが登壇し、パネルディスカッションを実施。「いま、福島について伝えたいこと」をテーマに議論が交わされた。
震災当時は小学5年生だったという富田さん。中間貯蔵施設や浜通りを見て印象に残ったことを尋ねられると、次のように語った。
「昨年、初めて中間貯蔵施設に行きました。厳重に立ち入りが制限された場所に、小さい花がぽつぽつと咲いていて、すごく穏やかな空気が流れていました。『ただ、捨てられたものではない』という意思を花から感じた気がして――」

中間貯蔵施設で感じた未来への芽吹きについて話した富田さんの言葉に対し、勝目さんは「福島の内外の時計を動かす」ことが重要だと訴える。
「福島に対するイメージが14年前のままになっているのでは。福島はいまだに原発事故のイメージが強いが、福島と福島の外には断絶はなく連続している。
これだけの事故があった場所でも、今では花が咲いている。発災直後からそのまま止まっている福島内外の時計の針を動かさなければならない」
ディスカッションの最後には「いま、私たちが福島について全国のみなさんに伝えたいこと」について話し合われた。
富田さんは「来て、見てほしい」と、現地に足を運ぶことの大切さを笑顔で語った。
「福島には、美味しいものがいっぱいあるよ。私は福島出身だけど、来るたびに新しい発見があります。それくらい広い場所。逆にいうと、自分の生活圏は狭かったんだと思い知る――。
福島に来て『美味しかった』という思いだけでも持ち帰って、好きになってもらえたら嬉しい」
*
シンポジウム終了後、「福島、その先の環境へ。」ツアー2024の企画に携わった佐藤汰(さとう・たい)さんに「いま、福島について伝えたいこと」を尋ねた。
「始めは『好き』から」

笑顔でそう答えた佐藤さんは、昨年に訪れた飯舘村で飯舘牛を味わうツアーを独自で企画し、知人を集めて開催しているそうだ。
そして、ツアー開催の理由を「飯舘村の人が好きだから」と語っていた。
情緒的な繋がりを生む「好きという思い」と、合理的に議論を深める「正しい知識」。その両輪が機能してこそ、福島の未来がつくられていく――。そう強く感じるシンポジウムだった。
写真:西田香織
取材・文:大橋翠
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