「誰かと一緒に料理をつくる、食べる」と聞くと、温かな思い出がよみがえってくる人も多いのでは?
「食」と「幸せ/ウェルビーイング」の関係がいま、注目されている。英オックスフォード大・ウェルビーイングリサーチセンター、ギャラップ社、国連の持続可能開発ソリューションネットワークが発行する「世界幸福度報告」の2025年版で、初めて「食」がテーマとして取り上げられたのだ。
「食」と「幸せ」には、どんなつながりがあるのか? 「世界の台所探検家」として70以上の国を訪れ、170以上の家庭の台所に立ってきた岡根谷実里さんと、味の素㈱執行役常務の森島千佳さんが話し合った。

ビヨンドSDGsとして注目される「ウェルビーイング」
──「世界幸福度報告」2025年版で初めて「食」がテーマとして取り上げられました。味の素社とギャラップ社の調査が引用されているそうですが、調査の背景や結果を教えてください。

森島さん(以下、森島):これまでは、経済的な豊かさを測るGDPや、持続可能な開発目標であるSDGsが重視されてきました。現在は「ビヨンドSDGs」として「ウェルビーイング」の議論が世界中で進んでおり、日本の成長戦略にも盛り込まれています。
そんな中で、私たちは「調理の楽しさ」や「共食(=誰かと一緒に食事をすること)」とウェルビーイングについて調査しました。これまで、栄養素と健康のエビデンスはたくさんあったのですが、心の豊かさと食に関する調査がほとんどなかったんです。
調理を楽しむ人、共食が多い人は、ウェルビーイング実感度が高い
調査では大きく分けて、過去7日間に「調理を楽しみましたか?」「誰かと一緒に夕食を食べた日は何日ありましたか?」という2つの質問をしました。

すると、過去7日間に調理を楽しんだ人は、調理を楽しまなかった人や調理をしなかった人と比べて約1.2倍、幸せの実感がある。つまり、ウェルビーイング実感度が高いとわかったんです。

さらに、過去7日間に4日以上、他の人と一緒に夕食を食べた人は、誰とも一緒に夕食を食べなかった人と比べて、約1.6倍もウェルビーイング指数が高くなりました。
岡根谷さん(以下、岡根谷):「一緒に食べると楽しいよね」といったことは、なんとなく皆が感じていたことですよね。それが世界的な調査報告に掲載されたことは、大きなステップだと思います。
大学院生時代、ケニアで目の当たりにした「食」の力
── 岡根谷さんは「世界の台所探検家」として、どんな活動をしてきましたか?

岡根谷:私は料理を通して世界の文化や歴史、社会、環境問題などを伝える活動をしています。これまでに70以上の国を訪れ170以上の家庭の台所に立ち、人々と生活や料理を共にしてきました。

── どんなきっかけで、「世界の台所探検家」になられたのですか?
もともと大学院では土木工学を研究し、国際協力の仕事を目指していました。けれども、アフリカのケニアでインターンシップをした時に、「インフラを整えることで、逆に人の生活を壊してしまうこともある」という体験をして。

私が滞在していた村に、大きな道路が通ることになったんです。赤い線が引かれて、「ここから先の人は2週間以内に退去」とか「この学校がなくなる」となり、悲しんだり怒ったりしている人がたくさんいて。
そんな時でも、家族が1日に1回必ず笑顔になるのが食卓でした。決して特別なごちそうではないんですけれども、庭からとってきた葉っぱを使って自分の手で何かを生み出し、家族を笑顔にできる。
大きな力でインフラを整えることも必要ですけれども、一人ひとりが自らの手で社会をつくれる料理の力はすごいと思って、台所に立つ人に興味がわいていきました。
森島:やっぱり、おいしいものは人を惹きつける力があるといいますか、心のエネルギーだと思います。世界の食卓では、どんな発見がありましたか?

共食と料理という「仕組み」が人をつなげる
岡根谷:共食については、週に1回、家族が食卓に揃うシステムが様々な文化圏にあることがすごく面白いですね。例えばイスラム教では、金曜日のお昼は家族が集う重要な食事。パレスチナの家庭では、鍋いっぱいに野菜、肉、お米を入れる「マクルーバ」という炊き込みご飯をつくりました。

湯気と共にスパイスのいい香りが立ちのぼってくるんですけれど、これは手間のかかる料理でして。お母さんや娘たちは野菜を揚げて、米と共に鍋で煮ます。最後にお父さんが重くなった鍋をテーブルに運び、ひっくり返して食べるんです。特に決められたわけではなくても、家族の中で役割分担されています。
一緒に料理をさせてもらった時、お母さんが「皆が集まる時にマクルーバをつくっているけれど、むしろ、これがあるから皆が集まるんだよ」と話してくれたのが印象的で。

つまり、マクルーバをつくる仕組みがあるからこそ、協力し合ったり、人が集まったりする。そういう意味で、「食」はすごく便利な道具でもあります。「食」でなくても家族が集う方法はありますが、皆どうせ毎日食べるのですから、「食」を使うのが効率的だと言えるでしょう。
森島:おいしいものを信頼できる仲間と食べたら笑顔になりますし、つらいことがあっても、気持ちが和らぎますよね。
「食事はスープ1皿でもいい」
── 「共食や料理をすることが幸せにつながる」と感じる人が多い一方で、一人暮らしで共食が難しい人もいます。「誰かと一緒に食べるなら共食や料理をきちんとしなければ…」とプレッシャーを感じる人も少なくありません。
森島:「共食」の根本は、「人とのつながりを実感できること」。必ずしも物理的に一緒にいなくてもいいと思います。例えば、友達や親が贈ってくれた食材を使うだけでも、その人の愛情を感じることができます。自分のために家族の誰かがつくってくれたお弁当も同じです。
料理のハードルを下げることも大事ですよね。例えば、冷凍ギョーザをフライパンに並べて焼くだけでも料理です。それは「手抜き」ではなく「手間抜き」なんだということで、料理を難しく考えずに食の楽しさを伝えていきたいです。
岡根谷:そうですね。いま私が住んでいるオランダで友達が家に招待してくれた時、食事は1皿のスープだけでした。最初は驚きましたが、スープには野菜も肉も入っていますし、「これでいいんだ」と肩の力が抜けました。

長い歴史を見てみると、数千年前の料理は狩りをするところから始まっていたけれど、今はパックの肉や冷凍食材を使うようになっています。それは単に進歩しているだけで、罪悪感や違和感を抱く必要はないですよね。多様なライフスタイルの中で、自分に合った「食の充実」があると思います。
世界中の誰もが皆、何かを食べて生きている
── お2人は今後、食を通じて、どんなことを目指していますか?

森島:「食」は人と人とをつなぎ、人を元気にしてくれるもの。定期的に仲間が集まって食を楽しむサービスをつくったり、料理のハードルを下げたり。企業として、そんなお手伝いをしていきたいです。食の力でもっと人々が幸せを感じる社会にしていきたいと思います。
岡根谷:食を通して、目の前に見えている人だけではなく、見えない人へのつながりや思いやり、ポジティブな興味をつくっていきたいです。世界中の誰もが皆、何かを食べて生きています。その理解があれば、もっと住みやすい世の中をつくっていけると信じています。
(取材撮影:川しまゆうこ)